なんとなく実行委員長

2009年2月21日 (土)

なんとなく実行委員長⑬下

 さて、夏の大会の打ち合わせのようになった冬の大会ですが、とっても気持ちのいい会でした。何が気持ちいいって、それはシンプルだったことです。
 研究の発表、授業書案の検討にスポットライトが当たっているという感じがしました。もちろん冬の大会と夏の大会では違いはありますが、冬の大会の間中、会の運営というのは、黒子なんだよなあと思いました。発表資料を持って参加する方は、とにかく「自分の発表をたくさんの人に聞いて欲しい。」を思っています。そして、聞く人は「自分の問題意識にあった発表はどこにあるのか」を探しています。発表する人と聞く人の問題意識はうまい具合に気持ちよく出会ってもらえるようにするのが運営の基本だなあと感じました。冬の大会は、全体会が主体ということはあるけれど、大会の主催者は、発表する人と聞く人が気持ちよく出会える場を提供するのが一番の役割なんだということに気づいたのです。

 仮説実験授業をする教師の役割というのは、授業書で科学と子どもたちの出会いの場を演出することです。フェスティバルや入門講座は、科学と先生(大人)たち、仮説実験授業と先生たちの出会いの場を作ることです。それと同じように、大会は、<こんなこと発見したよ!こんなことやったら楽しかったよ!楽しいよ!こんな研究したよ!>という発表者と<楽しいことやりたい!楽しいことみつけたい!>っていう人の出会いの場をつくるということなんだと思ったのです。
 今回の冬の大会は、最初に<世界史入門><ものとその所有>という授業書になりそうな大きな発表に時間をとり、細かくじっくりと見せたいものを分科会でとり、細かなプランや実践記録などをあとでまとめて発表するというやり方は、発表する方にも、聞く方にも気持ちのいいものだったのではないかなあと思ったのです。この辺は、さすが愛知だなあと思いました。

 犬塚さんとも話をしました。最初は「いやあシンプルな会で気持ちがいいですね」というと「そりゃそうだよ。こっちは発表の場を提供するだけだ」と。
 そして、今回の会費の設定について面白い話をしてくれました。
 さらに犬塚さんには「大会は、あんたがやりたいようにやっていいから。じゃなきゃ、おもしろくないもの」って言われました。「やりたいようにやる」って言ったって、こっちは、なんとなく・・・・。なので、やりたいってことはそれほどなくて・・・。そんなことを考えましたが、はっと思いつきました。犬塚さんの「あなたが」という言葉を「あなた方がやりたいようにやりなさい。」と言い変えれば良いわけです。
 さあ、スタッフのみなさん。どんなことをやってみたいですか~。やってみたいことをどんどん出して下さい。様々な人が「こんなことやりたい」と思って動いたら、もっと楽しくなると思います。私は、なんとなくの実行委員長なので、みんな自分が実行委員長のような気持ちで、どんどん案を出し、勝手にやって下さい。楽しいですよ。

  大会で、印象的だったことが2つあります。一つは、伊藤正道さんの「液体空気で遊ぼう」というプランです。このプランの存在は知っていたのですが、松平さんと志田さんのプランのイメージがあり「いつでもできそう、見なくてもいいかな」と思っていたのですが、今回は《三態変化》をやっている途中なので、是非液体窒素を教室に持ち込みたいと思い、参加しました。実験の内容の中でとっても新鮮な物があったのも印象的だったのですが、私がいいなあと思ったのは、正道さんの雰囲気です。物性とかで発表する人は、みんな何でも知ってます、っていう感じで、それもいいのですが。正道さんは「ボクは、液体窒素についてはまったく分かりません。プランもこれでいいのかよく分かりません」などといいながら、実際ビビリながら実験をしていした。
 そんな雰囲気をみながら、これならオレにもできそう。参加している人の中には科学は苦手って思っている人もいっぱいいるわけだから、こんな感じで「だれでもできるよ」っていう感じの人もいてほしいなあと思ったのです。
 2つ目は、実行委員長牛山さんです。牛山さんは、実行委員長あいさつで「引き受けたときも、まあなんとかなるだろうと思っていましたが、今日まで、リーダーシップも発揮せず、なんとなく過ごしてきました」っていう話をしていました。その話を聞いて「ああ、なんとなく実行委員長だ」と笑えました。
今回のスタッフは、犬塚さん、斉藤さん、井上さん、林さん・・・・と誰もが行動力のある方々なのですが、これは、岩手だって同じじゃないですか。
 私も、牛山さんのように、ゆったりと楽しむ気持ちも残して当日を迎え、大会そのものを楽しめればいいなあと思いました。

 そこで、思いついたことがありました。      
  会場での問い合わせや苦情は、それぞれの担当キャップに集まるようにしようということです。
 会場に500人もいるんですから、その中で様々なことで<スタッフに聞きたい><言いたい>ということがあるでしょう。そんなとき「スタッフに聞いて下さい」と言っていても、スタッフが対応できないこともあります。そこで、スタッフの中のキャップの顔写真と携帯電話をプリンとしておくわけです。そうすれば、携帯で問い合わせができるというわけです。
 キャップのみなさんは、忙しくなるかもしれませんが、参加者としては、うれしいと思いますよ。
 そして、何より、私が楽・・・・。

Photo_2        予想図

 
                             2009.1.9

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2009年2月14日 (土)

なんとなく実行委員長⑬上

冬の大会へ行く   松川 靖

 忘年会があった次の日、いつものように酒が残っているのかな?それとも寝不足かな?と思っていたら熱がありました。関節痛もあり嫌な予感がしたので病院に行きました。インフルエンザの検査をしたら陰性でしたが、その次の日も熱が下がらず、結局タミフルをのむはめになってしまいました。
 きっと張りつめていた気持ちが一気にゆるんだのだと思います。しばらくぶりで、何もしないで2日も寝て過ごしました。ボーッとテレビを見たのも久しぶりです。年末の忙しいときにこんなことになるなんて、トホホ。と思いましたが、でも実は、熱を出してもシメタもありました。毎年年末には、両方の実家に行って、暮れの手伝いをしていたのですが、インフルエンザの疑いがあるのではいけません。大掃除も奥さんが一人でやり、しだいに熱が下がってきた私は、パソコンの前に座って、冬の大会用の資料作りができました。(結局その資料は、持っていかないことにしましたが)
 年末に酒を飲まないというのも、なかなか新鮮でした。大晦日には、自宅で一人紅白をみながら、年賀状を書いていました。
 私は、あまり年賀状を書かないのですが、今年は、11月の会のお礼や、夏の大会のお願いやらで、仮説関係の人にたくさん書きました。2009年0時の時報の時に、ちょうど板倉先生の年賀状の番になりました。板倉先生に一言書きながら、いよいよ全国大会の年が始まるんだなあと、ちょっと緊張感が走りました。
 1月1日も5時頃に起きてパソコンに向かいました。いつもなら、二日酔いで寝坊しているのに、元旦から仮説に浸れるなんて、やっぱり実行委員長?などといつもとの違いを感じながら明るくなってきた窓を見て「そうだ、初日の出を見に行こう」と思いました。車で、見晴らしのいい裏の道路に行き、山と雲の間から昇ってくる日の出を見ました。
Photo 別に、1月1日の日の出が特別なわけではないけれど「いよいよ夏の大会の年になったなあ、どんな年になんるだろう」といつもと違う年の始まりを感じていました。

 
             (2009年の初日の出  盛岡市湯沢より)

 4日には、体調も良くなり、愛知の冬の大会に出発しました。行きの新幹線の中で大久保さんと夏の大会の話を何時間もしました。役割分担、会場のこと、予算のこと。
 その後、会場についてからは松平さん夫妻や平賀さんと売り場で、廊下でエレベーターで。部屋で。顔を合わせれば夏の大会の打ち合わせでした。まあ、実行委員会を持つって言ったってそんなに多くの時間をさけるわけはありません。この集まったときに気になることや思いついたことを話ていたほうがいいなあと思い、思いついたことはさっと話すようにしました。
 また、会場には、5月の会で講師をお願いする人やら、演題を打ち合わせなければならない板倉先生やらがいらっしゃるので、この際できることをやっておかなければなりません。休憩時間や食事の時間にも様々な人のところに行ってお願いをしました。
 まず、亀川純子さん。5月の会の<もし原>の講座をお願いしました。本当にうれしそうに「やらせて下さい!」と言ってくれました。高校の方のガイダンスにも岸広昭さんをお願いしました。「一番苦手なガイダンスだなあ」といいながらも「やります」と言ってくれました。本当にうれしいですね。

 板倉先生にも演題についてお願いしました。板倉先生に話に行こうと思うと、いつも周りに人がいてしゃべっていたり、疲れて休んでいたりと、なかなかキッカケがつかめません。2日目の朝にようやくお話ができました。5月のフェスティバルの演題は「未来を切り開くたのしい授業」とかなんとかそんな感じにしたいなあと思っていたら大久保さんが「そんなテーマより<新指導要領と仮説実験授業>とかにしたほうがいい」とおっしゃるので、そんな感じでお願いすることにしました。

 「岩手ではなかなか仮説をできない人もいるんです」という話するとすると板倉先生はすぐ「北の方は、北方教育とか言って、基本的に反権力なんじゃないかな?」というので「宮城では、極地方式があったおかげで、仮説もやりやすくなっている感じもありますが、岩手では・・・」というと「おそらく組合の組織率も低いんだね。そして、組合が、ニーズに答えていないんだね。賃上げとかをスローガンにあげているけど、そうじゃないんだね。教育の自由を掲げればもっといいのにね。そして、きっと組織も押しつけ組織になっているんだろう。」と笑っていました。さらに「愛知じゃね。組合が御用組合でね。組合に入らないと教頭や校長になれないようになっていてね。○○くんなんかね、組合に入らない闘争をしてんだよね」などと県による教育状況の違いも話してくれました。そして最後に「いずれ、半分は、そのようなお話をします。」と笑っていました。
 朝の、短い時間に、こんなおもしろい話が聞けるなんて役得ですね。

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2009年1月17日 (土)

なんとなく実行委員長⑫下

   板倉先生に会いに行く(下)  松川靖

 私が相模原の「小田急東林間という駅に行く」と言ったら
「林間は、林間学校があったんだね。東京の人たちが林間学校に行ったんだよ」
と地名にまつわる話を教えてくれました。
   サービス精神ですよね。訪ねてきた人に何か興味のあることを話して、興味を揺さぶってくれるんですから。
 それから
「相模原はねえ。二宮尊徳のところでね」
と,まるで用意していたように、ポスターを出したのには驚きました。(私が相模原に行くのを知ってたの?)っていう感じです。
 そのポスターには、「相模原、柴刈りウオーク。薪かつぎウオーク」」(確かではありません)とかなんとか書いてあって、二宮金次郎の銅像が背負っているような昔の道具を背負った人たちが歩いている写真が載っていました。
 そして
「昔はね、ここにシバをつけてね、売りにいったんだよ。そして,本を買ったんだね。ボクもね。シバを刈ったことがあるんだよ」
 「おじいさんは山へシバ刈りに」っていう話は有名だけど「シバってなんだっけ」と思い
「シバって?」
と聞くと、板倉さんは
「シバっていうのはね、林の下の方にある、細い木でね。それを背負うから、大変なんだね」
と言って、長野に疎開していた子どもの頃、お兄さんと一緒にシバ刈りに行った思い出を話してくれました。
 二人で一度にたくさんのシバを運ぼうと大八車を持って行ったそうです。そして、なんと手を切ってしまったのだそうです。板倉さんは、左手の人差し指を見せて
「ここをねー。このように切ったんだよ。それでね、あわてて帰ってきたよ」
と少年のように笑っていました。
  ところで、板倉さんは、二宮金次郎が背負ったのは「シバ」だっていったけど、私の記憶では、結構太い薪を背負っています。みなさんはどうですか?
 実は、銅像を作った人も実は「シバ」っていうのを知らなくて銅像には、太い木を背負わせたのではないでしょうか。いや、シバを背負わせるとデザイン的にかっこわるいから、太い薪を背負わせているんじゃないか?そんな予想も立ちました。
 だいたい「おじいさんがシバかりに」なんて言っているけど、実はほとんどの人が「シバ」っていうことを分かっていないんじゃないか?とも思いました。。
 みなさんはどうですか?
 「おじいさんはシバかりに」の「シバ」ってどんな物か知っていましたか?また、二宮金次郎はシバを背負っていると思います
か?                                                    
│ しば【柴】・・・山の雑多な低木の類。      │         
 二宮金次郎の銅像は、柴を背負っているでしょうか。それとも、柴とは言えないような太い薪を背負っているでしょうか。

32Photo   

 実は、ちゃんとシバを背負っているんですよね。
 それにしても、板倉さんの言葉って、私たちの脳に電磁波のように働いて興味の弦を振動させてくれるんですね。共振した興味の弦が、いろんところでたくさんの音楽を奏でている。それが仮説実験授業研究会なのかもしれません。
                        * * *
 そうそう、本題の「東北たのしい授業フェスティバル」への依頼は、すぐに引き受けて下さいました。もちろん体調によってですが。
 竹内社長曰く。
「本人はねえ。どこへでも行く気満々なんですよ。でも、体の方がねえ」
 最近は、1ヶ月に2回も出るとぐったりしてしまうそうで、1月10日の四国のフェスティバルは出ないことになったそうです。5月9日あたりは、連続した会がないということで、大丈夫なようです。
                        * * *
  高田馬場駅に向かいながら
「いい仕事をしたなあ。オレってジッコウイインチョウなんだ」
と,また成長を感じる私でした。

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2009年1月10日 (土)

なんとなく実行委員長⑫上

          板倉さんに会いに行く    松川靖

 板倉先生という存在は、私にとっては、近いようで遠い・・・やっぱり遠い存在です。
 板倉さんは、授業書を仲介として科学と私を取り持ってくれたわけですから、そういう意味ではいつも近くにいる存在です。でも、板倉さん個人をそんなに身近に感じたことはありません。何せ、板倉さんとの話題がないですから。
 大会などで、板倉さんを囲んで楽しそうに会話している人たちを見ると、「何を話しているのかなあ、うらやましいなあ」と思うときもあります。でも、そのそばに行って話を聞いても、実はあまり内容が分かりません。
 私が、積極的に板倉さんに話かけたのは、唐津の大会(2005年)のときです。《電流と磁石》に関わって、岩波映画の実験の仕方と授業書の違いを聞いたときです。そのときは「映画には、ウソがあるからねー」と明快に答えてくれました。
 天橋立大会では、来年の夏の大会が岩手に決まった時、板倉さんが売り場に来てくれました。そして、第2回の盛岡大会のときのことや,そのとき実行委員長をされた小原先生の思い出を話してくれました。「小原さんは、とっても優秀な方でした。でもね、彼の論文を一つ載せなかったんだよね。それが心残りなんだよ」と話す板倉さんに優しさを感じました。これもジッコウイインチョウの役得だよなあ~とは思ったものの、なかなか近寄り難い存在であることに変わりはありません。
                        * * *
 12月に学校の出張で相模原に行くことになりました。本当は日帰り出張だったのですが、何か有効に使いたいなあと思ったとき「そうだ!5月の会に板倉先生に来てもらえるよう、直接会ってお願いしよう」と思いました。5月の会については、夏の大会のときに、ちょっとお話はしていたのですが、実際に0Kを頂いていたわけではありません。電話でお願いするのもかなり緊張するし、ここは11月の「入門・再入門講座」の感想をおみやげ持って行けば、「少しは会話がつながるんじゃないか」と思ったのです。
 これまでにも仮説社に行ったことはあるのですが、誰と会話するでもなく、ただ品物を買うだけだったのですが、板倉さんに会うという目的があるとわくわく感がちがいます。
 10時頃高田馬場につき仮説社に向かいました。板倉さんに会うために仮説社に向かっている自分がいることに幸せを感じました。

 仮説社で待つこと1時間半。板倉さんがいらっしゃいました。お疲れな感じでなきゃいいなあと思っていたら、かなり顔色もよく元気そうです。
 まず「仮説実験授業入門・再入門講座」についてお話しました。初めての人にもたくさん来て頂いて、感動的な感想をもらったこと、宮城の方も多かったことなどを話ました。もちろん感想文も渡しました。秋田や福島などの東北の状況にも詳しくて、秋田は高校の先生が多いし、福島は、首都圏に近いから、東京の方に来るだろうというお話もされていました。
                        * * *

「お元気そうですね」
と言うと
「『たのしい授業』の1月号の原稿がうまくあがったからねえ。ごきげんなんだよ」
と笑顔でした。そして1月号に載せる原稿についてお話して下さいました。
「1月号の原稿は<教師の熟練>という内容で、ほとんど犬塚さんのことです。あの人はねえ、高校に行って授業がうまくなったんだよね」
と、言いながらもうれしそうに笑っています。
 そして
「中学校とか、高校で授業をすると1クラス目は、慣れなくて、だんだん慣れてくるんだね。そして、5クラスくらいになると今度はあきてきちゃうんだね」
「でも、犬塚さんは、真剣だよ。そのときだけだから。」
「教師も観客によって変わるんだよ」
というようなことを話されていました。(ノーミソテープなので、あてになりません。詳しくは『たのしい授業』1月号をご覧下さい。)
 私も、今回受けた《不思議な石・石灰石》のすばらしさについて話しました。
 《石灰石》の授業の話の中で私が
「でも、塩酸をなめるのはどうなんですか?」
と聞くと、板倉先生は、とてもまじめに、
「昔の科学者なんてみんなそうやっていたんだよ。ガリレオだって、望遠鏡で直接太陽を見ていたに違いない。少しだから大丈夫だったんでね。毒だって少しだったら、大丈夫なんだよね」
と話していました。
 犬塚さんが授業の中で塩酸をなめているのは、パフォーマンスなのかな? なんて思っていましたが、科学史にも則っているんだなあなどと思いました。あれ自体が「化学入門になっているんだ」と思ったわけです。

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2009年1月 3日 (土)

なんとなく実行委員長⑪下

会を主催すると言うこと(上)     松川 靖

■参加者は集めたいと思って行動するだけ集まる。

 <講師によって参加者が決まる>ということと同時に、<呼ぼうと思って行動すれば,それだけ集まる>ということも分かりました。今回は、定員50名にしましたが、うれしいことに講師含みで49名の参加者がありました。
 今回は、岩手の会では初めてカラーのパンフレットを作りました。松平さんがインターネットの印刷会社を見つけて作りました。このカラーパンフレットについては、会のあとで「カラーパンフレットで,参加の気持ちになったか」というアンケートをとりましたが、「カラーパンフレットで参加しようと思った」という人が何人もいました。
 松平久美子さんにも,職場の方や知り合いの方に電話をしていただきました。やっぱり,<動けばそれだけ人が集まる>っていうはその通りだなあと思いました。

■参加者申し込みの法則
 パンフレットを配るとすぐに何人かの申し込みがあったのですが、その後ぱったりと申し込みがありません。岩手の人には、サークルで確認しました。それでも20人くらいにしかなりません。大久保さんに話すと「それはかなりいいねえ。これから伸びると思うよ」という答えです。
 こっちは「赤字か~」とドキドキしているのに、何度もこのような会を開いている大久保さんは、その参加者の申し込みに法則性があるということを知っているようです。
 そして、大久保さんの予想通り〆切間近に申し込みが増え、さらに〆切を過ぎて申し込みが増えました。
 これは、単純に嬉しいものです。最初は「赤字か~」と思っていたのに、参加者が30人を越え、40人を越えると、ホント「やった~」っていう感じです。何か、自分が評価されたような良い気分になっていました。もちろん,「講師の評価」なのですが・・・。

■大変な名簿管理
 いつもアバウトな私にとっては、参加者名簿の管理にかなり神経を使いました。エクセルで、名前と参加費宿泊費の表を作って、毎日変更、変更また変更をしていました。
 会の当日、夏の大会をお願いしている旅行業者の方が来ていて、私が名簿を見ながら「バタバタ」しているのを見て、
「次の会のときは、最初から私たちにやらせて下さい」
と言ってくれました。やっぱり、こういうのは業者に限りますね。
プロだもん。

■役割は遠慮せず頼む。

 小さな役割も、サークルの方々に頼むのがいいですね。例えば、今回は、おやつを買うのを私の奥さんに頼みました。私の奥さんはそういうのが得意なので,気持ちよく引き受けてくれたのですが、会には参加していません。すると、おやつを運ぶのは、私がやらなければなりません。後で運ぼうと思っていたら、会場では、次々にやらなきゃならないことがあって、結局後回し。後で気づいて駐車場に走って取りに行くということになりました。私もよく大久保さんに買い出しを頼まれましたが、参加者としてはたいした仕事ではないものだし、頼まれれば結構うれしいものです。<役割は遠慮せずに頼む>ことだなあと,つくづく思いました。

■会は授業書があるからできる

   会を主催して一番感動するのは、やっぱり参加者の感想文ですね。特に、初めて仮説の会に参加して授業書を体験した人の感想文は、とっても新鮮で、仮説に出会ったあの頃の気持ちになってジワーっと感動します。
 すばらしい感想文の数々を読んでいると、授業書の内容の素晴らしさが伝わってきます。そして、納得できたことがあります。このような会ができるのは、授業書があるからだ。講師も授業書があるから引き受けてくれる。授業書のすばらしさを伝えたいと思っているから進んでやってくれる。授業書があるからいい感想がもらえて、さらにやる気になる。
 授業書という<核>があることによって、その周りにたくさんの動きがおこるんだなあと実感しました。
 <授業書があるから、会の主催も楽しくできる>のですね。
 仮説実験授業という山は大きい。遠くから眺めていてもすばらしいけれど、近づけば近づいたなりの感動があります。
 でも、登り始めるともっと楽しい景色が待っています。1合目には1合目の,2合目には2合目の楽しさが。
 会を主催してみて、さらに楽しい景色が見えてきました。
 もう少し高い所まで登ってみたい。そんな気持ちがムクムクわいてきました。

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2008年12月30日 (火)

なんとなく実行委員長⑪上

  会を主催すると言うこと(上)     松川 靖

 11月15~16日に<仮説実験授業入門・再入門講座>という会を行いました。私が主催者ということになっていますが、この会も“なんとなく”主催者になってしまいました(ガクッ)。
 “全国大会実行委員長”なんていっているけど、考えてみれば、私は、これまで大きな会を主催したことはありません。石塚さんの会と山路さんの《力と運動》の会の2回だけです。
 だから、大久保さんから
「11月の会は、松川さんがやる? オレがやる?」
って言われたときには、正直,五分五分でした。
 「全国大会の実行委員長としてやっておかなきゃいけないのかなあ、でも、自信がないなあ」っていう煮え切らない感じでした。
 でも、会が終わった今,「やってよかったなあ」「会を主催するって楽しい!」と,本当に充実感を感じています。
 そして、来年5月には、「もう少し大規模にフェスティバルをやりたい」と考えています。仮説実験授業の会をやるって、ホント楽しいです。
  では、<“なんとなく”始めた会の主催が楽しくなって、「またやるぞー」っていうエネルギーに変わっていくまでのお話>をどうぞ。

■動いて考える
 この会をやるって決めたのは、全国大会が決定してすぐなのですが、すぐに動いたのは大久保さんでした。大久保さんは、すぐに全国大会の会場ホテルに電話して、部屋をおさえました。 私なら「さて、どんな会にしようか。だれを呼ぼうか、いつやろうか」って考えてなかなか動けないのですが、大久保さんはさすがです。ぱっとホテルをおさえてしまうわけです。
 これって、すごく大事だなあと思います。ぐちぐち考えているうちに結局やらないことになってしまうことが多いのですが、日にちが決まっていればやらざるを得ません。
 11月15日に会をやるとなると、お知らせを9月にはださなきゃならない。ということは,すぐに講師を決めないと,お知らせの〆切が迫ってくるわけです。なんでもそうですが、〆切がないと結局流してしまうことが多いですよね。〆切を決めると、人間考えが浮かぶし、行動力がわいてくるものです。

■講師は、主催者。

  ホテル(会場)を抑えると同時にすぐにおさえなければならないのは、講師です。私は、すぐに「西川さんには来てほしい!」と思ったのですが、会の規模と予算との関係がイマイチ計算できず・・・ つまり、たくさん呼びたいけど、「何人集まるんだろ?」「赤字になるんじゃないか」などと考えてしまって,なかなか決められません。でも、結論から言うと、<講師によって参加者も決まる>っていうことです。
 今回は、西川さん、犬塚さんの2人を主な講師にしようと決めたのですが、斉藤祐子さんが大久保さんを通して「是非行きたい」と申し出て下さいました。
 さらに、東北から、熊野信吉さん、船迫新治さん、今野高彦さんに講師をお願いしました。3人には、なんと参加費を払って頂いて講師をやって頂いたわけですが、この考えも慣れないと難しいです。講師をお願いして、しかも参加してくれっていうわけですから。
 でも、これも、講師をしてくれた方々の感想文を読んで、納得しました。

│ 講座をもたせていただいてうれしかったです。「一番勉強
│になるのは講師」という言葉を聞いていましたが、まさしく
│その通りでした。今回の経験を生かして授業書の見方、準備
│の仕方、など考えていきたいと思います。参加して盛り上げ
│てくださったみなさんに感謝しています。(船迫新治さん)

│ 久しぶりに《宇宙への道》の準備をして、さらに充実した
│セットにすることができましたし、思った以上に講座に参加
│して下さった方も多かったし、最後まで授業書を終えること
│ができたし、惑星模型も喜んでもらえたし、おみやげも喜ん
│でもらえたと思います。本当に講師が楽しんだ講座でした。
│ありがたし!      (熊野信吉さん)                   
                  
 講師をしたことで、得をするのは、自分なんですよね。
 そういえば、私も大久保さんに頼まれて何度か講座を持ったことがありましたが、講座があるとその授業書について細かく考える機会になるし、その後の授業もしやすくなりました。
 主催者となって分かったことは、「主催者」は、講師と、参加者を結びつける役だということです。参加者が集まるのは、主催者の宣伝だけではなく、講師を見て決めているわけです。
 大久保さんが「<講師は、主催者とグル>なんだよ。」と言っていましたが、その通りだなあと思いました。
(「下」へ続く)

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2008年12月20日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.10下

  オレってやっぱり仮説教師(中)                               松川 靖

<窒素や酸素をとりだすには>というお話には、工場で窒素と酸素を取り出すには、窒素と酸素の沸点の違いを利用する。
 窒素の沸点は、-195度。酸素の沸点は、-183度。マイナス200度にした液体空気の温度をあげて窒素を取り出し、酸素を残す。という説明です。
 これは、授業書《三態変化》と共通の内容です。
 「沸点」「気化」など難しい言葉があるのですが、次のように説明すると、子どもたちはあっさり理解してくれました。

 空気の分子は、普通の温度では ビュンビュン飛び回っているんだったね。 でも、温度を下げてやると、動きがにぶくなっていくのね。そして、マイナス200度くらいになると、空気の分子もくっついて水槽の水のようにちゃぷちゃぷしてくるんだって。

 ちゃぷちゃぷしているやつを少しずつ温度をあげていくと、-195度で、まず、窒素分子が元気になってきて「オレは、出て行くぜ」ってピューンと飛んでいくからこれを捕まえる。
  さらに、温度をあげると酸素が元気になって「オレもでていくぜ」っていくわけだ。

 子どもたちは、ウンウンなるほどって聞いています。
そして、「ヘリウムは?」「二酸化炭素は」と空気中にある微量な分子について気づいている子もいて、なるほどなあと思いました。ヘリウムは「たぶん、窒素の前に出てるねえ」と言ったら、ツヨシくんが「二酸化炭素は、みっつくっついているから、残ってるんじゃないか」って言ったのにも感心しました。

  ここで、残り時間が少なくなったのですが、次の時間にさっと「窒素づくり」「酸素づくり」をやるために、次のページをさらっと説明することにしました。
 窒素づくり、酸素づくりに使う道具と薬品を授業書で確認し、水上置換について、お風呂のオナラで説明。爆笑の中、説明が終わると、すぐ。
 ツヨシくんが「よしやるぞ!」みんな「よーし!」残り数分しかなにの、もう理科室へ行く気満々。
 「ごめん、時間がない」というと「えー」っという声。
 ものすごい意欲です。

 教科書の授業、学習発表会の練習となにかと押しつけ的な指導の多かった最近でしたが、授業書で、私も、子どもも、授業の楽しさ、開放感を味わいました。

 子どもたちがそれなりについてくるので、ついつい教科書の授業もガンバってしまった私。子どもも私も苦しんでいた今日この頃ですが、仮説実験授業が始まって、題名を書いただけで、心地よい、楽しい、楽しすぎる授業に浸ってしまいました。私は、授業書を1行1行読みながら、子どもたちの発言を聞いて、その表情や目の輝き、笑顔になる瞬間を見て自然に笑顔になっていくのを感じました。
 そして「おれは、やっぱり仮説実験授業が好きだ~。」「仮説だけがうるおいだ~」「仮説しかない教師だ~」と内側からジワジワわいてくる熱いものを感じていました。                (2008.10.18)

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2008年12月13日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.10中

   オレってやっぱり仮説教師(中)                        松川 靖

そして、質問1です。

[質問1]  空気は、窒素や酸素などのいろいろな分子がまざりあってますが,窒素の分子だけをとりだすことはできるでしょうか。(要点)
 私が、読む前から、タツキくんが、討論の戦闘モードに入っています。

タツキくん「出来るよ!できるに決まってるべー。だってさー理科室に、ボンベがあったもん。それに入れるためには、やってるに決まってる」

予想をとって見ると、「とり出すことが出来る」が 多数。でも、少数派の子も「けんとうもつかない」の子も笑顔で、手をあげているのもいいです。

 ここで、自然に討論が始まってしまいました。
 「ああ、テープ持ってくりゃよかったなあ」など考えながら意見を聞いていました。
 ノーミソテープなので、討論の内容は忘れてしまいましたが、
わいわいと元気に意見を言い出す子どもたちの姿に笑顔自然に笑顔になる私でした。

 「取り出す方法」では、おもしろい方法が出されました。

レオくんは、「部屋を締め切って、ストーブをどんどん燃やすと、酸素がなくなってくるから、窒素が残る」と言います。すかさずツヨシくんが「そしたら、二酸化炭素がでる。」と言います。

 酸素をなくすために、炭素を使うっていうのも、すごいけど、別なものになるということがスーッと出てくるのもすごいことだなあーと思いました。

 子どもたちの中には、分子が三態変化していたり、燃えるときに分子が離れたりくっついたりしているイメージができているんだなあーと鳥肌ものでした。

 すると、ゴールくんが「あの、お菓子なんかに入っている、エージレスっていうやつで、酸素をくっつければいい。」と脱酸素剤を使って空気中の酸素を取り、窒素だけにする方法を話してくれました。

 すると、だれかが「窒素は、とれるけどそのエージレスのくっついた酸素はもうとれないじゃないか」と。
 これって《燃焼》の「酸化と還元」のイメージだよなあ。

 さらにショーリくんが面白いことを言い出します。

ショーリくん「先生、酸素と窒素の分子って大きさは同じなの?」
私「うーん、どうだろうなあ」

ショーリくん「もしも、少しでも違ってたら、例えば酸素分子がちょっと小さかったら、酸素分子だけ通るような、網のような物を作って、こっちから空気を送ってやれば、こっちに窒素だけいく」

 これは、分子を振るいにかけるっていうイメージです。分子の振るいっていうやつがありましたよね。
 それから、最新の・・・ノーベル賞にも関係しているカーボンナノチューブっていうやつ?なんかそんな分子のイメージです。
 そんなことを言いながらショーリくんの言ったことを黒板に描いて説明していると、
「ショーリ、おめーノーベル賞とれんじゃねーか」ってタツキくん。

 
  1ページ目から、こんなに自由に分子のイメージが飛び交い、子どもたちが生き生きとしている様子をみながら、西川さんの言葉が脳裏をかすめていました。
 「授業書は、1ページ目からスーッと子どもたちをひきつけます。タコがタコツボにスーッと入ってくるように」
 子どもたちと授業を楽しみながら、子どもたちと一緒に楽しい授業のタコツボに自分も一緒に吸い込まれていくような気持ちになりました。
 西川さんなら、この時間まるごと1ページで終わるのでしょうが、私は、「ごめん、次に行くよ」と言って進みました。(つづく)

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2008年12月 6日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.10上

     オレってやっぱり仮説教師(上)                               松川 靖

  「どうしてだろう。9月から引きずっている悪循環をなかなか変えることができないなあ」10月に入っても気持ちがなかなか晴れません。
 人間、そう簡単に変わることはできないものです。仮説実験授業を20年やっても、仮説実験授業以外の所では<子ども中心>を貫けない自分がいます。
 《宇宙への道》が終わり、理科は教科書の授業。算数も国語もまちがって、ちょっと力を入れてしまいました。すべての授業が押しつけモードです。そうなると子どもたちの態度や姿勢などが気になってしまい、ついつい注意。落ち着きのない子は、いつも同じだから、注意はその子に集中。するとその子はさらに注意されるようなことをし、それが何人かに拡散。説教、説教の連続。教室に入るときには、「笑顔で行こう!」と思っているのに、子どものちょっとした言葉づかいに「イライラ」また暗くなって説教。
 こんな生活は、もう何年も前に卒業したつもりなのに。オレは、仮説実験授業を20年もやってるのに・・・・・・・ガク。
しょうがないなあと思いつつ、授業書を始めました。
《いろいろな気体》です。

  1時間目。黒板に「いろいろな気体」と書きました。
私「これから《いろいろな気体》という授業をします。」
 子どもたち  し~ん
私「ここに<気体>ってかいてあるけど、<気体>って何か分  かる?」
 すると、最近いつもわたしに注意されているタツキくん。
  大きな声で、言い出します。
タツキくん「液体っていうのは、なんか、べちゃべちゃしたの」
私 「おー。気体と液体ね。液体は、この水槽の水のようなものなのね。」
このタツキくんの発言をきっかけに、あちらこちらから、声が上がり始めます。
レオくん「固体!」
私「<固体>って何?」
レオくん「<物>っていうか、固いもの」    「机とか!」「鉛筆!」「ノート」 「じゃあ、学校も固体?」

 子どもたちの雰囲気が一気に開放され、次々に子が、イメージしたことを話し出します。ノーミソがグラグラと揺すられているのが分かります。

私「そうか、じゃあ気体は?」
ゴールくん (手を左右に振って)「ここ。空気のようなの」

      「空気!」   「空気!」

私 「みんな、すごいねー。<気体>っていう言葉だけで、こ
    んなにたくさんのことを言えるんだものねー」

 算数の時には「だめだし」の言葉がつい出てしまう私も、子どもたちが次々に話す言葉にただ乗っかっていればぐんぐんイメージが広がって行く感じがして、だんだん気持ちよくなっていきます。
  西川浩司さんは、授業書の題名、そして1ページ目の[質問]だけで、何時間もお話されます。
  「題名を書いただけで、子どもたちはスーッと授業にのってくるように出来ている」と言いますが、本当にそうです。
私「<いろいろな>って書いてあるけど・・」

   酸素!  窒素!   ヘリウム!

   教室は、「学びたい」っていう意欲に満ちあふれているようです。
 最近、教科書をちょっと真面目にやっていて疲れていた私は私は、<学習への“意欲”ってこういうことをいうんだよなー>とシミジミと思うのでした。
そして、質問1です。(つづく)

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2008年11月29日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.9下

 楽しさ∞大(下)                  松川靖

 でも,そうやって何度も∞の記号を打っているうちに<授業の評価が楽しさ「∞」なんて普通はあり得ないよな~。>と思ってきました。《宇宙への道》を1回やったからといって,そう簡単には“哲学的な感動”を味わうことはできません。30億分の1の模型を見せ,校庭でその距離感を確かめても,30億倍にした本当の太陽系のイメージ,その先の宇宙のイメージをしっかりいだける子はどれだけいるでしょうか。何せ,私は,5回くらいやっているのですから。
 まあ,よくわからんけど,宇宙は∞。楽しさ∞なのでしょう。
 たくさんの∞を書いて,笑顔で感想用紙を持ってくる子たち。∞の中には,子どもたちの精一杯の「楽しいよ」というメッセージがこめられているのだなあと思いました。

 ある日,車を運転していて,太陽が一瞬目に入りました。そのとき,頭の中で,夜の星と太陽が並びました。「暗い空で光っている星と青空で輝く太陽が,実は,同じ恒星なんだよなあ。」と思ったら,太陽の近さが感動的に感じられました。「太陽は宇宙レベルで見ると,こんなに近いんだ!」だって,星は,点なのに,太陽は月くらいあるではないですか。頭の中で太陽がずーーーっと遠ざかって行って,星の点くらいになりました。その点の太陽がまたぐーーんと近づいてきました。
 すると,今度は太陽のエネルギーの大きさをガーンと感じました。暗黒の宇宙をこんなに明るく照らす光。光の速さでも8分もかかる距離から,こんな明るさや熱を送り続けるそのエネルギーは,とんでもないもんだなあと思ったのです。そして,そのエネルギーが地球の生命を生んだ・・・。「地球がここにあってよかった~~!!」っていう感じですね。
 私たちにとっては大きな地球。私達にとっては,遠い太陽。でも宇宙レベルでは,小さな太陽系。存在するかしないかすらわからにような地球。そんな地球で,オレは車を運転している。 そんなことを考えている自分にも感動しました。
 
 授業をしていて楽しくて,子どもたちから「∞に楽しい」なんて言われ,さらに,宇宙の中にいる自分を感じられるなんて,幸せだなあと思います。
 仮説をやって一番得しているのは,授業をしている私たちですね。 

                            2008.9.20

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2008年11月22日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.9上

  楽しさ∞大(上)                  松川靖

 私が実行委員長として一番大切に考えていること。それは,学級の子どもたちと仮説実験授業をすること。
 夏休み明けからすぐ《宇宙への道》3部「太陽系と宇宙」を始めました。惑星の写真をみせると「おー,すげー」「きれ~い」と歓声をあげて目を輝かせてくれる子どもたち。惑星の30億分の1の模型と直径50㎝の風船を比べて見せると,「小さ~い」と驚きの声をあげる子どもたち。そして,30億分の1の太陽系模型を持って校庭へ。「これから30億分の1の宇宙旅行をするよ」と言って校庭の掲揚台に太陽の模型をつるし,巻き尺で測りながら20mのところで水星を持ってもらい,35mのところに金星,50mのところに地球,75mのところに火星を持ってもらって,みんなで太陽のほうを眺めてみました。さらに「木星は○○さんの家のあたり,土星は○○くんの部屋につるす。」なんて説明しながら,私の頭の中には,ボイジャーからながめたような映像が浮かんでいました。そんな自分に感動しながら授業が終わりました。
 「こりゃあ,なかなか良い感じだ。」自己満足の私は,感想の用紙を渡しながら,「哲学的で深い感想を書いてくれないかなあ」なんてっちょっぴり期待していました。そして,わくわくしながら集めた感想用紙。ちらっと見たその感想の中には,深くて,感動的な感想は見あたらず,ちょっとがっかり。(名前は仮名)

◆うちゅうのことがいっぱいしれてよかった。  
 楽しさ ∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞×∞・・・・・
                      大地くん

◆うちゅうへの道はおわったけど,いままでのことをふりかえってみると,たのしいと思う。
  楽しさ∞+∞=∞∞      下田さん

◆光の速さでさえ何百年もかかるのがすごい。
  楽しさ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 藤樹くん

◆「宇宙への道」という勉強をして,太陽とかわく星以外の星とか,星と星のきょりは,何万㎞とか勉強して,いっぱいおぼえました。もけいづくりも楽しみ。
                楽しさ∞×10 渡さん

◆宇宙のこう星は,すごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく,とおいので,びっくりしました。
   楽しさ 5×∞∞∞∞∞∞    金野くん 

◆アンドロメダがみれてよかった。
  楽しさ5×∞×∞×∞×∞×∞×∞ 石井くん

 この感想文を学級通信「風にのせて」に全員分打ち込みました。打ち込み始めると「∞」がいっぱい書いてあって何度もコピー貼り付けをしていました。ヤレヤレ・・・coldsweats01

 でも・・・(下へ続く)  *15日に一度投稿しましたが,埋もれてしまったので,再投稿しました。

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2008年11月 8日 (土)

なんとなく実行委員長 NO.8

「実行委員長」の威力!?   松川靖

 11月の「仮説実験授業入門講座・再入門講座」のビラを盛岡市や雫石町内に、大久保さんと私の名前で配っていると言うこともあるし、ウチの職員室にも配りたいということもあって、校長先生に仮説教師としての私を自己紹介しておくことにしました。

「会を開くので、盛岡や雫石の学校に全部ビラを送りますし、受付は、私で、学校名も出ていますので校長先生には話しておこうと思いまして。」
  そして、さらに次のように言葉がでてしまいました。
「来年度、仮説実験授業の全国大会が岩手であるんですけど、その会場を使ってやります。全国大会では私が実行委員長をやることになっています」
「え、実行委員長やるの?」
「はい」

“全国大会!実行委員長!!”っていうのは、威力があるようです。いいねえ~。実行委員長!!

 このあと、職員室でカラーパンフレットを配りました。職員室には、30代のY先生と40代のK先生、女の先生がいました。
「こんどこんな会をやるんだけど、どうですか?気合いを入れてカラーのパンフレットを作ったんですが」
と渡し、初めて割引や同一校割引について話しました。すると、
「初めてで、同一校だったら、さらに割引?」
と反応がありました。
「それはできない」
と話すと、ほとんど仮説には興味がないような感じだったK先生は
「私は、1日しか出られないけど、安くなるの?」
っていうので「うーーーん。安くします!」
と言ったら
「おー」
って喜んでいました。
 すると今度は,向かいに座っているY先生が、
「お勧めの講座はどれですか?」
と聞いてきました。(Y先生は、この学校に来た最初の年に、私が5年を受け持っていたとき、6年で隣同士になった先生です。卒業間際には、6年生に行って《もし原》をやったこともあり、入門講座にも1回出ています。)
 「うーんそうだね。初めての人は、ぜひ斉藤さんの《足は何本》を受けてください。授業書は、低中学年向きだけどほんと楽しいですよ」
と言いました。
 すると、2人ともすぐ
「じゃあ、参加します」
と言ってくれました。そして、K先生が
「このパンフレットをもらっても怖くて行く気にはならないけど、松川先生といっしょにいたから、行く気になった」
というのです。その向かい側でY先生も
「そうそう」
と笑顔でした。

                                (2008.10.18)

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2008年10月31日 (金)

なんとなく実行委員長 NO.7

      クールダウン                     松川 靖

  ホント,学校が始まってしまうと,授業のことや行事や子どものこと,その他なんやかんやで忙しくなりますね。夏休みには,ノーミソの80%が“全国大会”って感じでしたが,学校が始まってしまえば,そうはいきません。“全国大会”が頭に占める割合も下がってきました。
 そして,正直,疲れもあります。夏休み後も11月の会の要項を作り,『東北の風』を作り,発送しと,ドーパミンがドバーっと出ている状態だったのですが,さすがに発送を終えて意識が学校の方に向いた途端,急に体の疲労を感じてしまいました。体は疲労しているのに,ノーミソは,興奮状態だったのでしょう。
 疲れてるなと思いつつも,元気づけのジョギングをしたり山へ行ったりしたのですが,その後も体力が回復せず「ああ,これは体が疲れてるな」ってことがやっと分かりました。
 クールダウンっていう言葉がありますが,やっぱり必要なんですね。今までは,クールダウンするほど動いていなかった,(というより,いつもクールダウンの状態だったので,その必要はなかった)のですが,さすがに,興奮状態を続けていると脳は体の疲れを知らずに突っ走ってしまうのでしょう。
 そう言えば,6月に岩手山に登った次の日,疲れていないような気がしてジョギングをしたことがありますが,そのときは,さすがにグダ~っていう1週間をすごしました。体の疲れがドーパミンでだまされているのででしょう。そういうときには意識してクールダウンしなければならないんだといことです。

 それにしても,松平さんには,クールダウンっていう言葉がいらないんじゃないかなとおもうぐらいすごいです。
 11月の会のカラーのパンフレットやら,それを全県に配るための住所の打ち出しやら,着々と進めています。うーん。すばらしい。“なんとなく”ではない事務局長のすごさを感じます。

 久々に意味もなくボーッとテレビを見ながらうとうとと居眠りしていたら,また「ああ動くのがめんどくせーなあ」っていう感じになってしまいました。そんな脳をもサークルが近づいてきたらムクムク動き出しました。「サークルには資料を持って行かなきゃ。」っていう義務感。(楽しい義務感)っていうのが,クールダウンしたノーミソを刺激したようです。やっぱり月1回のサークルは,貴重です。
 興奮とクルーダウンを上手に使うことが,より楽しい生き方につながるのかもしれません。
 そうそう,『ツレがうつになりまして。』(細川 貂々著,幻冬舎)という本には「鬱になる前には,眠れない程の興奮状態が続いた」なんて書いてあったそうです。来年の全国大会後に,鬱にならないためにも,しっかりクールダウンする習慣が大切かも・・・。(2008.9.20)

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2008年10月25日 (土)

なんとなく実行委員長 NO6(下)

山と仮説実験授業(下)  松川靖

Photo_11 ◆耐えざるを得ない下り。でも、その後に爽快感

 登山は、上りよりも下りがつらいです。上りのときには、花や木、岩や土、空の色や雲などに感動できます。目指す場所もはっきりしています。でも、下りは、テンションが下がっています。同じ花を見ても、岩を見ても、それほど気持ちいい感覚を味わうことができません。足もだんだん痛くなってきます。まさに、忍耐という下山も何度かしました。特に、1合目あたりになると、もうふらふらになることもあります。でも、結構歩けるものです。だって、帰らなきゃならないですから。辛くなったら「帰ること」のみを考えてひたすら耐えます。
 あとは耐えるだけ、という下山のような気持ちで学校に通ってことも何度かあります。そんなときには、あと3ヶ月、2ヶ月、1週間。と秒読みをして耐えます。すると、終わる日がくるものです。そんなギリギリのときでも、仮説実験授業があると私にも、子どもたちにもいいです。秒読み体制のときでも、いや、むしろ秒読み体制のときこそ私は仮説実験授業をやります。修了式間近、卒業式間近のあの最後の下り。楽しさの共有は、ホッとした雰囲気にさせてくれるのです。
 でも、そんな苦しい1年を過ごした子ほど、別れた後には、とっても素直だったりします。一番反抗的だった子が「先生!こんどどんな授業するの?」なんて笑顔で話しかけてきてくれたりします。
 山もそうだなあ、へとへとになって、痛い足で家についたとたんに「次、どこに行こうか」なんて考えている自分がいるのです。

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2008年10月19日 (日)

なんとなく実行委員長 プレミアム

松川さんに岩手山山頂からの写真を送ってもらいました。山が好きな方,大会の前後に岩手山に登ってみませんか? (ねこの)

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2008年10月11日 (土)

なんとなく実行委員長 NO6(中)

山と仮説実験授業(中)   松川靖

◆途中に楽しさがある

 私にとって、山登りと仮説実験授業の共通点は、まだあります。それは、途中も楽しいということです。
 もしも、行きたくもないのに山に登らされるとしたら、それは、苦痛以外の何も残さないと思います。
 仮説実験授業だって、無理矢理やらされるのでれば、苦痛かもしれませんね。まわりから見ると「どうしてあんな大変なことをやるの」って思われることでも、やっていることに楽しさを感じることができれば、様々なことを乗り越えてしまえるものです。
 
 私が初めて岩手山に登ったのは、とても条件の悪いときでした。下の方は、くもりだったのですが、5合目についたときには、もう辺りが真っ白で、雨が降り、風も出てきました。
 途中で帰ろうかなとも思ったのですが、結局9合目まで登ることができました。
 2度目のチャレンジでは、山頂までいったのですがなんと、またもやあたりは雲で真っ白という状態でした。でも、私は、とっても満足でした。それは、途中が楽しめたからです。まわりが真っ白で何も見えなくなったとき、足下を見ると、色のちがった石や土が、きれいな絵のように見えたのです。その地面の模様が歩くたびに変化するのです。
 山頂に近くなり、見える景色がまるでマーズパスファインダーが送ってきた火星の写真のようになったときには、かなり感動しました。
 そして、辺りが真っ白でも途中を楽しめ、人っ子一人いない岩手山の上に自分が立っていられたことにも感動できました。
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写真は岩手山焼け石走り(溶岩流跡)。本文とは直接関係ありません。 

仮説実験授業も同じようなことがあります。
 授業をしていても、何かうまくいかないようなことがあります。子どもたちもガヤガヤしていたり、楽しんでいるんだろうかっていうことが。私は、結構いわゆる荒れた学級を受け持つことがあるのですが、そんな時は、先の見通しも見えず、目の前が真っ白になってしまうことがあります。正に雲の中の登山と言ったところです。
 そんな時にも、仮説実験授業をやっていると、荒れてる子がいい意見を言ってくれたり、そっぽを向いていた女の子がふっといい笑顔を見せてくれたりすることがあります。
 3年前も荒れまくっていた男の子が「教科好き嫌い調査」をしたら、理科のところに自分で「死ぬほど好き」と書いてくれたことがありました。先の見えない毎日の中で本当にうれしいことでした。

 山を登っていて、ものすごく疲れていても、岩の間にさく小さな花を見ることで疲れがすーっと飛んでいくことがあります。 先の見えない学級のときには、仮説の感想文や授業中の子どもたちの笑顔が、花のように気持ちを楽にさせてくれることがあります。
 もう出口がみつからなくて、あと3ヶ月、あと1ヶ月と子どもたちとの別れを秒読みしたくなるときもありますが、できれば1日に1回くらいは、ほっと笑顔になれる時間があるといいですよね。そんなとき、私は、授業書をやり楽しいネタをやります。そうすれば、苦しい中で、岩陰にさくかわいい花のような笑顔に出会うこともあります。

 頂上のない山はないし、終わりのない学級もありません。苦しいときは登ったあとの爽快感、別れたあとの爽快感をイメージして、なんとか乗り切ります。楽な学級のときにも、できるだけ仮説をやって爽快感をノーミソにインプットしておくことは大事かも知れません。

つづく

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2008年10月 4日 (土)

なんとなく実行委員長 NO6(上)

   山と仮説実験授業 (上)      松川 靖

◆成功感、達成感がリピーターの源

 私は、最近よく山に登ります。「なぜ山へ登るのか」と聞かれたら、答えははっきりしています。それは「達成感、成功感が味わえる」ということです。
 40代半ば頃の私は、疲れやすくて、めんどくさがりな人間でした。何をやるにも「めんどうだなあ」という思いがつきまといました。当然、山を登るなんていう選択肢はありませんでした。
  でも、今では、月に一回は、1000m以上の山に登るし、登らないと体がムズムズしてきます。岩手山をもっと楽に登るために、なんとジョギングまで始めてしまいました。

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 なまけ者の私を山に駆り立てたもの、それは、成功感、達成感の他にありません。
 私が最初に達成感を味わったのは、雫石町にある千沼ヶ原という所にいったことです。ここは、小さな高層湿原なのですが、秋になると、一面の草が黄色に紅葉することで有名です。千沼ヶ原に行って帰って来るには、往復5時間くらい山道を歩かなくてはいけません。
 去年まで一緒にいた校長さんんが、山好きな人で、その校長さんに影響され、覚悟を決めてチャレンジしてみました。行く前は「5時間も歩けるんだろうか」ととても不安な登山でしたが、無事目的地までつき、帰ってくることができました。
 青空と草紅葉、途中のすばらしい景色に感動したのももちろんですが、なんと言っても「自分が5時間も歩くことができた」という達成感が、自信になりました。
 先生という職業は、日々の生活の中で、ハッキリとした達成感を味わうことができないことが多いですよね。そして、もやもやしたりくよくよしたりすることもていることもあります。でも、山は、とってもシンプルに達成感を味わわせてくれます。そんなすっきり感を味わいたいために、また山に足が向くのだと思います。

 仮説実験授業をなぜつづけるのか、それも達成感、成功感です。普通の授業では、1年に何度か「お、これはうまく授業できたな」ということがあります。また、研究授業などで、苦しんだ後「やっと終わった」という達成感を味わうことはあります。でも、仮説実験授業の場合は、授業書を全部おわった後の達成感は、最高です。授業中には、無駄話をしていたり、そっぽをむかれたりしていて心に引っかかっていた子から「先生!楽しかった、先生の授業最高!」なんていう感想文をもらえることもたくさんあります。自分が準備してこの授業書を全部やって、子どもたちにこんなに喜んでもらった!と思うと、毎回爽快感を味わうことができるのです。仮説実験授業はやればやっただけ子どもたちに「楽しい」と言われ、成功した!という満足感と「オレもすてたもんじゃない」という自信をもらうことができいつのまにか「さー、今度はどんな授業書をやろうかな」としっかりリピーターになっているのです。
 人間の脳は、快感を味わうと、もっと、もっとと要求してくるようです。今では、その脳の要求に従って、山に登ったり仮説実験授業をしたりすることがエネルギーになるし、そんな自分が好きになっていくことを感じます。

つづく

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2008年9月28日 (日)

なんとなく実行委員長 NO5

    ジッコウイインチョウでノーミソの改造?   松川 靖

  2学期が始まりました。仮説をやることだけは「楽しい!」と感じる私ですが、夏休みや冬休みの終わりころにはいつになっても「ああ、休みがおわっちまう。やだなあ~」って感じます。そりゃあそうですよね,山に登ったり、仮説の大会に出て興奮したり・・・。そんな毎日から、決まった時間に出勤し、授業以外の様々なことをやらなきゃならなしし、かわいいとはいえ、元気すぎるくらいの子どもたちの中に入っていかなきゃならないんですからね。始業式の前の日の夜のけだる~い感じ。「なんか楽しいネタを持っていこう」と気力をふりしぼって出勤というのがいつものことでした。

 でも、今回は、なんかスーッと2学期の生活に入ることができました。なぜだろうかなあと考えてみると、これもジッコウイインチョウ効果かもしれません。
 夏の大会以後、頭は、動き続きです。いつもは、テレビを見ながらボーッとしている時間が長く、ノーミソの活動停止状態が長く続きます。その停止したノーミソを動かすのにかなり時間がかかるのです。でも、今回は、停止するヒマがありません。 頭は、来年の7月のことを常に意識しているし、犬塚さんと西川さんを呼んでの11月の会もまだ、案ができていません。来年6月の入門講座もまったく白紙です。(11月の会は申込受付中です!仮説実験授業入門・再入門講座11月15日(土)~16日(日)詳細はこちらhttp://homepage3.nifty.com/nekot/iwate-kasetu/ivent/11manabukai.html

 でも、そんなことを考えつづけていたら、始業式の前日のいやーな感じはありませんでした。頭は、動かしつづけていると落ち込み感が少なくなるのかもしれません。
 そう言えば、体もそうです。走ったり山に登ったりしていると、体のだるさを感じなくなります。走ったり登ったりした後は、さすがに疲れを感じるのですが、しっかり休むとすぐに元気になります。
 楽しいことがあると、動きたくなる、動くと元気になる。元気になるとまた動きたくなる。動くと楽しくなる。
 犬塚さんが「動きながら考える」というようなことを話されていますが、動くことは<イイ循環のポンプ>なのかもしれません。どちらかというと受け身の思考で、周期的に落ち込むことのある私のノーミソですが、楽しく動くことで、ノーの改革が進んでいるのかもしれません。

 落ち込みがちな自分に悩む人は、ジッコウイインチョウをやったらいい・・・・・・・かも?
 その前に仮説実験授業ですよね。

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2008年9月21日 (日)

なんとなく実行委員長 NO4

 動けば何か返ってくる   松川 靖

(掲載順番が違っていました。岩手大会決定前の話です)

      丹後の大会が近づいた頃、自分にできることは何かないかなあと思いました。
 最近は、東と西で交代で開催する感じになってきているし、北海道では、かなりの人の賛成を得たことも考えると<大会振り子>と<20年周期>で十分に岩手開催になるだろうとは思ったもの、自分に何かできることはないかなあと思ったのです。

 そんなことを考えながら車を運転していると「チームのTシャツを安く作ります」という看板が目につきました。そう言えば丹後の大会記念Tシャツは、会がはじまる前に注文を受け付けていました。だったら「来年は岩手で!」というTシャツを作ったらかなりいいアピールになるんじゃないかと思ったのです。でも、「次期大会を岩手で!」というロゴを入れるには、チームTシャツは高すぎました。
 じゃあ、100円ショップでTシャツを買って、アイロンプリントでやったらいいんじゃないかなあと思ったのですが、100円ショップでは、いいTシャツが見つからず、パソコン用アイロンTシャツも結構高いことがわかりました。いざとなると「高いかなあ」と思っている自分がちょっとなさけなっかたです。
 でも、しつこく探しているとあるもんです。Tシャツは、ホーマックというホームセンターで3枚500円くらいで売っていました。字はアイロンプリントではなく、ビン入りのジャムなどの表示にするシールが売られていました。粘着力が強く屋外でも使えると書いてあったのできっと大丈夫だろうと思いました。大会に出発する直前にシールを作り、Tシャツ6枚とともに大会に出発しました。

 1日目の夜に売り場でシール貼りをしたのですが、いざ着るとなると、正直、恥ずかしくなりました。でも、斉藤萌木さんが千葉で立候補するという情報が入っていたので「やっぱ着た方が確実だよな」と思い、岩手のメンバーにたのみました。
 2日目の朝にTシャツを渡すと、みんなさすがに恥ずかしそうです。志田さんなんかは「いやーオレはやだなあ」と照れていました。大久保さんも、平賀さんもちょっと「恥ずかしいなあ」っていう感じでした。でも、松平久美子さんや麻理衣さんは進んで「着てくれる」と言ってもらえてうれしかったです。
 さて、大久保さんと平賀さんと私とでシールを貼ったTシャツで廊下にでると、最初に会ったのは福島さんです。「2009年夏の大会は岩手で」という字を指さすと「おーこれは分かりやすい」と、とてもイイ感触です。知っている人には「これこれ」と指さすと、みんなイイ反応をしてくれます。中には音田さんのように「このへんみんな岩手に応援するから」と声をかけてくれる人もいて、だんだん、Tシャツを着ているのがうれしくなってきました。

Cimg2200 大久保さんは、出口陽正さんたちにシールを貼ってもらったりして「やっぱり前に貼ったほうがいいよ」とノリノリです。平賀さんも「オレは、これを着て分科会に出る。」「立ったときは、ゆっくりすわって、後ろにアピール」など、結構楽しんでいました。

 こんなささやかなことでも、行動を起こすと何か返ってくるものだなあ。思いは、物にしなくちゃ伝わらないんだよな。と思う私でした。
 小さい頃から、どちらかというと内向的で、慣れない場所では、自分の考えを話せない(考えが浮かばない)自分でした。仮説の会でも、岩手のサークルでは、いい気になって断定的に話したりするのに、他の県の人や大会になると、話をしないで、じーっと聞いていることが多く、ロビーなんかで話し込んでいるひとをうらやましがりながら、一人早く寝ている私なのでした。
 こんな性格だからこそ今回のたくさんの方々からの反応がとってもうれしかったです。
 何か行動を起こすと、何かが返ってくる。仮に、恥をかいても、失敗しても、やらなかった後悔よりはまし。
 犬塚さんが「動いてから考える」って言っていたけど、その言葉のすばらしさ、やっと少し分かってきたような感じがします。

仮説実験授業入門・再入門講座11月15日(土)10:30~16日(日)13:30

詳細はこちらhttp://homepage3.nifty.com/nekot/iwate-kasetu/ivent/11manabukai.html

 

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2008年9月15日 (月)

なんとなく実行委員長 NO3

丹後大会でインタビュー&板倉先生の言葉

 夏の大会のときに、旅行社の方にインタビューしてみました。
「この大会をやるのに、一番大変だったことはどんなことですか?」
「・・・ホテルとの交渉でしたね。(低い声で)」
「いろいろな事務とかでは・・・?」
「それはたいしたことはなかったのですが・・・」
 これまでの大会主催では「旅行社やホテルに仮説の大会の特殊性を知らせるのが大変」というウワサでしたが、今回は、どうやらホテルの方が大変だったようです。
 確かに、ロビーで食べてはだめ、分科会の部屋でもだめ、メシは速く食べろ、と何かと厳しい指導をされた感じもあります。
 吉竹さんに聞いたらやっぱりなかなか大変だったようです。特に、会場費については直前までもめたとのことでした。
 
 そこから考えると、ホテル森の風はかなりやりやすかもしれません。何せ、旅行社より先に森の風の瀬川さんと3回も話をして、大会の特殊性を伝えているし、瀬川さんも前向きな感じの人なので。
   参加者の方々にも大会についてリサーチしました。
・今回は、1日目の店を出す時間が9時と遅かった。(これも ホテルの要求)
・高くても会場内のシングルを確保してほしい。
・畳の部屋がいい。できれば枕も用意してほしい。
・資料代がでると店の物が売れる。資料代をなくすのはできないと思う。

 板倉先生が売り場にいらしたので「来年はよろしくお願いします」と言うと、小原先生の思い出話をされて「彼は、とってもすばらしい人で、ボクは、彼の論文を本に載せなかったことが気がかりだ」と話していました。温かい人だなあと思いました。板倉先生、最後に一言「ちょっと変わった会」にしてください。といい残して去って行きました。「ちょっと変わった会・・・・」ちょっとプレッシャーを感じます。
 でも、最後の日にソファーで話を伺ったら、例えば、久美子さんが紹介してくれた「手で見る博物館」とか「萌出さん」とかというので、ああ、これは、私が考えていたのと同じだなあと思いました。

 夏の大会を主催するという意識を持って参加してみると、これまでにはない新鮮な感触を味わうことができました。
 それでも、気楽なのは、変な権威のようなものが全くなく、これまでのノウハウで、やりたい人が勝手に動くということが分かっていることです。
 これから1年間、どんなことが待っているのか楽しみになってきました。

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2008年9月 6日 (土)

なんとなく実行委員長 NO2

大会の帰り道            実行委員長:松川靖

  ホテルを出発し、天橋立に別れをつげ、新幹線で一人になったとき、私には昨日の自分が別の自分だったような気がしました。
 600人を前に来年の夏の大会の立候補のスピーチをし、決定の挨拶をしたなんて、あれは自分じゃなかったんじゃないか?
 だって、行動力がなく、めんどくさがりでできれば楽に楽に生きたい私。自分で「あんなことをやりたい」と思って始めたことを満足に最後までやったことはありません。唯一やっていることと言えば仮説実験授業と研究会ニュースの発送。でも、それだって授業書を印刷するのはギリギリで、授業の準備もその日に準備室に行ったりすることもあるのです。

 それが、どうでしょう。今は大会の“ジッコウ委員長”です。 「よかったね」「おめでとう」と握手を求められ「ありがとうございます。来年よろしくお願いします。」などと話し、板倉先生や犬塚さんと来年の大会について話をしていた自分がまだ信じられませんでした。
 新幹線の中で大会で買って板倉先生にサインをしてもらった『科学と教育』を読みながらも、頭の中には何か落ち着かないモヤモヤが渦巻いていました。
 「本当にいいのかよ」「大丈夫みんな動いてくれるって」「最後に逃げてしまうなんてことがあるかも・・・」そんな思いがグルグルまわって落ち着きませんでした。

 そんな落ち着かない私の脳裏に浮かんだのは西川さんでした。西川さんは「仮説実験授業をやりなさい」ということと思います。そうだなあ、今一番しっかりやることはクラスの子どもと目一杯仮説実験授業をすることじゃないかなと思いました。2学期は《宇宙への道》の途中から始まります。たくさんたくさん仮説実験授業をやることが今一番大切なことかな。
 そう思うと、ふーっと楽になりました。

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2008年8月31日 (日)

なんとなく実行委員長NO.1

岩手大会実行委員長:松川 靖(大会決定前の文章です)

◆なんとなくジッコウ委員長宣言

「2009年仮説実験授業全国夏の合宿研究会・鶯宿大会が決まったら実行委員長をやります!」と言ったものの、そもそも、岩手仮説の会N01の「イイカゲン男」が「実行委員長」なんていう役をやってもいいのでしょうか?岩手には、大久保さん、平賀さん、松平夫妻、志田さんと実行委員長にふさわしい人がたくさんいるではありませんか。
  でも、ちょっと待って下さい。イイカゲンでアバウトで雑な私が“実行委員長”をやることにも何か価値があるかもしれません。
 仮説実験授業研究会の中でも、ごくフツーの私が実行委員長をやることによって見えてくるものもあるかもしれません。たとえば大会運営って、どんなことが難しく、どんなことが楽しく、また、大会を運営することでどんな成長ができるのか、なんていうことが。これって、1つの実験かもしれません。
さらに、私のようなものが実行委員長をやることで、仮説のベテランでない人も、新しい地区でも「立候補してみようか」という気持ちになってもらえるかもしれません。そういう意味では、価値あることかもしれません。だから、やってみようと思います。
 
 2007年北海道茨戸大会記録集の前書きに,実行委員長の蛇谷さんが 「自信がないからやってみる」「ドキドキしながら新しいことをやる」と書いていました。うーん。なんて力が湧いてくることばでしょうか。
  さて、その後も、大久保さんとホテルの人と打ち合わせをしたり、立候補のスピーチの構想はたったり、松平さんは、大会のホームページを立ち上げたりと、着々と準備が進む中「さて実行委員長は、誰がやんのかな?とちょっと気になりつつも「宣言」をせずに来ました。それは「実行委員長」っていう名前の重さからです。でも、考えてみれば、仮説の大会の実行委員長って、一番何もしなくてもいいかも・・・?一番仕事ができないやつでも勤まるかも・・・・。だって、みんなそれぞれが実行委員長のような人たちだもの。かえって、オレに何か役割を与えても信用できないかも。そんなことも考えて「とりあえず、なんとなく実行委員長やります。」と声を低く宣言したいと思います。

 とは言う物の<実行委員長って何?><どんなことをすんの?>っていうのも正直な気持ちです。
 そして、実行委員長として、今「やりたいなあ」と思えることを考えてみました。

①大会のときに、にこにこして気楽に過ごす係。
  これは、佐賀・唐津大会のときの日吉仁さんのイメージです。委員長が、なんか一番ニコニコしながらリラックスしていたのが良かったです。
②決まってからの大会までの準備進行状況を全国にお知らせす る係。
  ホームページは、松平さんがやってくれますので、主に、 アナログな方を担当します。
③フツーの人間が大会実行委員長になったときどうなるか、自 分の記録を書いていって、できればガリ本にしたいです。
④秋田、青森など、他の県とのつながりをつける。

  まあ、今の所はこんあところでしょうか。
 こんなイイカゲンでいいのか!と叱られそうですが、準備が進むうちに、やりたいことも出てくるでしょう。
あとは、経験者豊富な岩手のスタッフがそれぞれやりたいことを楽しくやるんじゃないかなと思います。
 しかし、それにしても私に「全国大会の実行委員長やろう」と思わせたこの研究会はすごい研究会ですね。私が進んで「実行委員長をやりたい」などと思ってしまうなんて、ホントすごいです。
 仮説実験授業をやって、子どもたちの支持を受けることによって、自分に教師としての自信が出てくる。自信がでると、新しいことにチャレンジしたくなる。そして認められるとまた次の行動を起こしたくなる。こうやって、いつまでも自分自身に「成長したなあ!」って感じさせてくれる仮説実験授業にはホント感謝、感謝です。
 そして、また組織がすごいですねー。何せやりたい人がやりたいことをやるという伝統が根付いているので、だれかが指示しなければ動かないということがありません。「上の人の指示が徹底していないから困る」という人がいないので、実行委員長になっても安心だというわけです。
 特に、岩手の方々は、得意分野が様々なので、最強の組織であるといえるでしょう。

◆口に出すと動き出すっていうこと

 何年か前、職場の忘年会で「ホテル森の風」に泊まったとき、「ああー。このホテルで仮説の全国大会があったらいいなあ」と思いました。ホテルの玄関、客室からの風景が、それまでにいった大会のホテルの雰囲気を感じさせたのです。
 それから数年後、「ホテル森の風」で平賀さんの退職記念パーティーが行われました。一人一人のスピーチがあったとき、私は受けねらいで「来年は、全国大会を岩手でやります。場所はここです。・・・・実行委員長は平賀さんです」といいました。「全国大会を岩手でやりたい。」という気持ちはあったのですが、だれかやってくれないかなあというのが本音で、もちろん自分が実行委員長になるなって少しも考えていませんでした。全くのウケねらいだったのですが、実は、その話をしたときの犬塚さんの反応にドキッとしました。
 私が「全国大会をやります!」と言ったとき、犬塚さんの目は、一瞬うれしそうに光りました。でも「実行委員長は平賀さんです。」と言った瞬間に「なんだよ!」とその光が消えたように思えたのです。私は、冗談で立候補宣言をしたことをちょっと後悔しました。
 でも、今思うと冗談でも口に出す事って大切かもしれません。 どんなことでも、頭に描いていただけでは1歩も進みません。冗談でも口に出しせば、それが1歩につながるのだと思います。なんとなく「このホテルで、夏の大会をやれればいいなあ」と思った夢が、口に出したことによって現実のものになっていくような気がします。
  

                                           

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